最近の生活
頭の中
最近は、ゆったりとした時間の流れの中に中くらいのタスクが何個も浮かんでいる感じなので余裕があるようでない。そういう時には面白くないことしか言えません。本も読めないし映画も見れない。(見られない)
ら抜き言葉って全然恥ずかしくないよ 言葉って移り行くものなので
移り行くが縮まって移行か 日本語スゲ~
最近は本当に何もできていません シャドバもオルピやってんのさっき知ったし
一応Aグループだけ行きました(桃香さんなんでランクマやめちゃったんですか)
ここから夏になって世界が全体的にアチアチになってしまうのが本当に嫌だな 家から駅行くまでにドバドバに汗かいてしまうし
イキリすぎているのかもしれない。俺も地球も
最近誰かとアリとキリギリスの話をした。俺はどっちだろうと考えた時にコツコツ働いて貯蓄をしていない一番ダメなパターンだった。アリス?それともキリギリだろうか
最近は古めの邦ロックばっか聞いてる しかし邦ロックを聞いていることは誰にも打ち明けていません キリンジ素晴らしいですね
音楽の話題はセンシティブすぎるからしないほうが無難って1年くらい前からずっと言ってる
チーズ 強そうな名前ランキング
1位
ゴルゴンゾーラチーズ
最近は専らファッションとしての読書歴のために読書をしています
不純か?なぁ 俺を裁けるか? 答えてみろ
見せてみろよ
ぼっちちゃんの読書
ぼっち・ざ・読書を!!
犬と人間
パ
最近、自分は意外とパーソナルスペースが狭い事に気がついた。自分の部屋に自分の思い通りにならない物があるのが嫌というか、
自分にとって自室とは、"自分という存在の拡張"みたいな感覚で、自室に踏み入られる事は即ち自分自身に踏み入られる事であり、みたいな。
ここまで書いて思ったが、こんな感じの話を現代文の授業かなんかで読んだかもしれない。そう考えると結構あいまいな話を小難しく書いてたのかな
自己の形成と物欲は結び付いている気がする
自己を一番簡単に、かつ無差別に主張できるのって市販の物なのではないか
そういう身の回りの物にエピソードとかあれば尚良いね 自己主張ポイント3割増し
だから流行りの格好は没個性みたいな偏見があるのでしょうね 量産ヘアとか
奇抜なファッションも「なんだアレ!?」みたいに思わせれば勝ちだしな 先行取って火力高めの自己主張で殴る
写真だって立派な自己主張だ インスタにあげるとかじゃなくても、いつかその写真を見返す日の自分に向けての自己主張 このブログだってもちろん自己主張
人間の三大欲求は食欲、性欲、睡眠欲を自己主張欲という大きい円で囲っている構図なのかもしれない。もっというと存在欲 観測者がいないと存在してるかどうかもわからないからね
人間
こういう曖昧な事を考えていると、つくづく自分ってば人間だなぁ〜と感じる
だって犬とかは絶対こんなこと考えてないし
外野として
ヴィーガン
ヴィーガンこと、完全菜食主義者。彼らは、野菜のみを食べて生活をしている。私はヴィーガンに対して好きなように生きれば良いと思うが、世の中にはマイノリティであるヴィーガンを完全に拒絶しようとしている人達も一定数いるようで、そういった人々は日夜寝る間も惜しんでレス・バトルに励んでいる訳だが、ヴィーガンがそうやって糾弾される理由の一つに、本質的なヴィーガンである理由や信念がブレてきてしまっているという点があると思う。
ヴィーガンである理由には様々あると思うが、大多数は「動物がかわいそう」だろう。理不尽に屠殺される多くの動物に同情する気持ちには共感できる。理不尽に奪われてしまう命を守るという信念に基いた行動には説得力が生じる。信念を行動で示すということは暴力に訴えないという点で非常に合理的な啓蒙活動であると言える。
しかし、昨今のSNSを見るに、ヴィーガンはヴィーガンである事自体が目的になっているように感じる。啓蒙活動という観点でヴィーガンを見ると、ヴィーガンであることは手段でしか無いのだが、さもヴィーガンであることが優れているかのような振る舞いには疑問を感じざるを得ない。何を食べるかなんて個人の自由だという言葉は、もう何度も何度も使い回されてきた言い回しだが、結局のところそれを受け入れられない極少数の人々が大きな声で言い争いをしているだけであって、マイノリティを拒絶するためにそういった行為に及ぶ人々が一番のマイノリティになってしまうというなんとも皮肉な話であるなぁ 等と 今日は考えた。
自己矛盾
こういうことを書くと、「じゃあお前は誰のどういう行動についても受け入れるし否定しないんだな?」みたいな揚げ足を取られそうだが、そんな聖人君子では無いので全然嫌だと思う事は理不尽に否定することもある。そういうのはしょうがない。所詮一個人の、外野としての意見なので。
顔射という行為
考える
皆さんは顔射という物をご存知でしょうか。私はよく知っています。知らない方はセパタクローのようなものだとだけ考えて頂ければ問題無いと思います。
先日卑猥な創作物を読んでいたときにふと思ったのが「顔射ってめちゃくちゃ怖くね?」ということだ。バチボコに怒張した珍棒を顔面に突きつけられ、「出すぞッッ」とか言いながらおぞましくも神秘的な粘性のある白い液体を射出するという行為。私は男なので「卑猥だな〜」とか「目に入ったら嫌だろうな〜」くらいしか思わないのだが、よく考えてみたらそんな嫌な液体をタイミングも分からずに急に顔面に放出されるのは想像を絶する嫌さなのでは無いだろうか。考えてみて欲しい。ガチガチに怒張した珍棒を黒光りする安全装置の外れた拳銃に置き換えて考えてみて欲しい。そんな危険すぎる物体が明確に攻撃意識を持って己の顔面から数cmの所に銃口をこちらに向けてスタンバイしているという状況を。嫌という表現では余りにも生温過ぎるほど嫌である。死を待つ他無いではないか。つまり、顔射されるということは、『死』なのである。
中学生の頃、社会の授業で「シェルショック」について習った。日本では「戦争神経病」と呼ばれる。
戦時中に多くの兵士が罹患した心的外傷後ストレス障害 (PTSD) の一種である症状を表現するためつくられた。 爆撃や戦闘の激しさに対するストレス反応となり、パニックや恐怖反応、逃避行動、理性の欠如、睡眠や歩行障害、会話不能など様々な形となって現れ、無力感を引き起こす。 Wikipediaより引用
もうおおよその推測はついただろうか。『顔射』という行為が人に及ぼす影響の大きさは。
『顔射』によって死んだ人は居ないだろうが(おそらく)、死んだ心は数え切れないだろう。今日この日から、これを呼んだ貴方も、『顔射』を絶対にしないと、心に誓って欲しい。
平和は、そこから始まる。
後悔に似ている
逆向き
𝕏(旧Twitter)には「気球が道の先に飛んでると視力検査っぽい」っていうあるあるがあるらしいが、生まれてこのかた目がずっと良いせいでそのあるあるが全くもってわからない。ところが𝕏(旧Twitter)に長いこと触れていると、そういうあるあるもあるのだろうなと受容することによってさも自分で体験したことがあるかのように共感してしまうことがある。これはインターネットという集合知を通して存在しない自分の体験を捏造してしまったという事だろう。こういう些細な事なら良いが、これから更にインターネットに触れる事が多くなっていく事を考えると、"体験"することの欠如に繋がりそうで、自分でどこかに行ったりすることで生まれる感動が薄まってしまったら嫌だなと思う。旅行計画を立てる時もあまりるるぶを読みすぎるのは良くない。
欠
欠けていることに憧れる人間は少なくない。私は生まれてこのかた目がずっと良いので「視力が下がる」という感覚がわからない。小学校の頃、目が悪いことがかっこいいと思っていたため、「俺も目悪いよ〜」などと嘘をついて自分も「目が悪い」という属性を得ようとした。今改めて考えると、「目が悪い」という事について話しているときは、「目が悪い」という属性を持っている事は本質的ではなく、「目が悪い」という事象について意見や体験を交わすことで理解深めていたのだろうなと思う。そんな会話に嘘の属性を持ち込んでまで参加しようとした己が割とみっともないなと感じる。あの時、私はどの立場でどのように会話に参加するべきだったのだろうか。それとも、あの場所は「目が悪い」ことが前提の会話で、目が悪くない私にはそもそもそこに入ることは許されなかったのだろうか。
自己について考える
好きなもの・こと
今日ぼんやり思ったのは、趣味などとして人に紹介する程でもないけど心の中心から割と離れた辺りでじんわりと好きなものやことが結構あるな~と。例えば
・歩道橋
・最近舗装されたなめらかな道
・押すと「パコッ」ってなるエレベーターのボタン
・大通りから一本入っただけで人気のなくなる道
・今日の気温を教えてくれる謎の電光掲示板がついている建物
・想定していたより早く届く荷物
・地下鉄の匂い
・セルフレジ
・建物から出て「あぁ 雨降ったんだ」
・100円玉の重み
・見たことないアサヒ飲料の新商品(三ツ矢サイダー系だとなお良い)
・電車の中で静かな人
・ペーパーナイフ
・ガラガラのコインランドリー(銭湯に併設していない)
などなど、今パッと思いつくものはこれくらいだが、こういうのを見つけては心の中でニッコリしている。
余白
考察の余地のある文章、言い換えると”余白”のある文章がすごいな~と常日頃から思っている。
「分かり易い文章」というものにはある程度レールが敷いてあり、我々はその上を作者の作ったトロッコに乗って作者に牽引されているような感覚があるのだが、そういう「余白のある文章」は、読んでいる間、ぼんやりと大いなる何かによって思考が誘導されているような感じがする。脳のどこを使えばそんな文章書けるの?
電動キックボード
電動キックボードの駅(?)みたいなのが帰り道の途中にある。そこに先週くらいまで10台くらいキックボード置いてあったのに今日見たら1台たりとも置いていなかった。
やっぱり結構使っている人が居て、しかもその人達は往路でしかキックボードを使っていないというのが面白いなぁと思った。やっぱり人口密度的に発展しているところにポートを多く置くため、最終的に一番発展している街にすべてのキックボードが集結してしまうのではと思ったが、まぁ そんなことはなく 明日も普通に24時間が過ぎていくんだろうな
懺
速度
オードリーの若林さんのエッセイに感銘を受けて俺が日記を書き始めたのはみんな勿論の如く知ってると思うが、日記を書くにあたって目標にしていた、「毎日やる」(日記なので)を3か4日目で普通に失敗してしまいました~~~~
俺の書く文章を毎日楽しみにしていた人には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいなので、
なんと
なんと!!!!!!!!!!
今日の面白写真を貼って謝罪に代えさせていただきたいと思います
いくぜ
覚悟はいいか?
面白~
以上です
梅雨について
もう梅雨明けじゃね?って思うくらい今日はめちゃくちゃに晴れていた。(晴れ方がめちゃくちゃだった)
俺はまだ人生(日本在住歴)が浅いので、梅雨の長さがよくわからない。5月にあった大雨が梅雨だと思ってたし。(自分語り失礼!w)
もしかしてもう明けてる?梅雨
いつもどれくらいの時期に梅雨が明けていたかわかんないから梅雨明けたよ~って嘘吐かれてもふ~んで流しちゃうと思う このままではいけないと思ったので、梅雨クイズをして梅雨に詳しくなろう!
第一問
梅雨の中に一つだけ違う言葉がまぎれてるよ!探してみよう!
梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨
梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨
梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨
梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨
梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨
梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨キンタマ梅雨梅雨梅雨
梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨
梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨
梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨梅雨
わかったかな?
じゃあ、また明日~~~👍