三木の日記

納得は全てに優先します

外野として

ヴィーガン

ヴィーガンこと、完全菜食主義者。彼らは、野菜のみを食べて生活をしている。私はヴィーガンに対して好きなように生きれば良いと思うが、世の中にはマイノリティであるヴィーガンを完全に拒絶しようとしている人達も一定数いるようで、そういった人々は日夜寝る間も惜しんでレス・バトルに励んでいる訳だが、ヴィーガンがそうやって糾弾される理由の一つに、本質的なヴィーガンである理由や信念がブレてきてしまっているという点があると思う。

ヴィーガンである理由には様々あると思うが、大多数は「動物がかわいそう」だろう。理不尽に屠殺される多くの動物に同情する気持ちには共感できる。理不尽に奪われてしまう命を守るという信念に基いた行動には説得力が生じる。信念を行動で示すということは暴力に訴えないという点で非常に合理的な啓蒙活動であると言える。

しかし、昨今のSNSを見るに、ヴィーガンヴィーガンである事自体が目的になっているように感じる。啓蒙活動という観点でヴィーガンを見ると、ヴィーガンであることは手段でしか無いのだが、さもヴィーガンであることが優れているかのような振る舞いには疑問を感じざるを得ない。何を食べるかなんて個人の自由だという言葉は、もう何度も何度も使い回されてきた言い回しだが、結局のところそれを受け入れられない極少数の人々が大きな声で言い争いをしているだけであって、マイノリティを拒絶するためにそういった行為に及ぶ人々が一番のマイノリティになってしまうというなんとも皮肉な話であるなぁ  等と  今日は考えた。

自己矛盾

こういうことを書くと、「じゃあお前は誰のどういう行動についても受け入れるし否定しないんだな?」みたいな揚げ足を取られそうだが、そんな聖人君子では無いので全然嫌だと思う事は理不尽に否定することもある。そういうのはしょうがない。所詮一個人の、外野としての意見なので。