三木の日記

納得は全てに優先します

顔射という行為

考える

皆さんは顔射という物をご存知でしょうか。私はよく知っています。知らない方はセパタクローのようなものだとだけ考えて頂ければ問題無いと思います。

先日卑猥な創作物を読んでいたときにふと思ったのが「顔射ってめちゃくちゃ怖くね?」ということだ。バチボコに怒張した珍棒を顔面に突きつけられ、「出すぞッッ」とか言いながらおぞましくも神秘的な粘性のある白い液体を射出するという行為。私は男なので「卑猥だな〜」とか「目に入ったら嫌だろうな〜」くらいしか思わないのだが、よく考えてみたらそんな嫌な液体をタイミングも分からずに急に顔面に放出されるのは想像を絶する嫌さなのでは無いだろうか。考えてみて欲しい。ガチガチに怒張した珍棒を黒光りする安全装置の外れた拳銃に置き換えて考えてみて欲しい。そんな危険すぎる物体が明確に攻撃意識を持って己の顔面から数cmの所に銃口をこちらに向けてスタンバイしているという状況を。嫌という表現では余りにも生温過ぎるほど嫌である。死を待つ他無いではないか。つまり、顔射されるということは、『死』なのである。

 

中学生の頃、社会の授業で「シェルショック」について習った。日本では「戦争神経病」と呼ばれる。

戦時中に多くの兵士が罹患した心的外傷後ストレス障害 (PTSD) の一種である症状を表現するためつくられた。 爆撃や戦闘の激しさに対するストレス反応となり、パニックや恐怖反応、逃避行動、理性の欠如、睡眠や歩行障害、会話不能など様々な形となって現れ、無力感を引き起こす。    Wikipediaより引用

もうおおよその推測はついただろうか。『顔射』という行為が人に及ぼす影響の大きさは。

『顔射』によって死んだ人は居ないだろうが(おそらく)、死んだ心は数え切れないだろう。今日この日から、これを呼んだ貴方も、『顔射』を絶対にしないと、心に誓って欲しい。

平和は、そこから始まる。